写真を見るしかた、というのはいろいろあると思うのだけれど、
抽象的な意味だとか、画面からたちのぼるニュアンスの伝達、というのではなく、
ただただ映っている像を具体的に見る、ということ自体のおもしろさ。
というのがある、と私は信じていて、それを探りたいというのが、
川のシリーズをしつこくしつこく続けている理由だと思う。

対岸のバーが窓辺に並べているウイスキーのラベル、自転車のリム、洗濯物を取り入れるご婦人だとか。

そういう像をただただ具体的に詳細を見ることのおもしろさ。

その意味で、昨日見た定点観測の写真集はのっけから面白かった。
画面のあちこちで建物が壊されては建つという変化が起こっているから、細部から目が離せない。まったく油断ができない。

「定点観測というのは、なにかひとつの建物がつくりはじめてからできあがるまで、だけれど、自分の写真はそうではない。万物の流転。」
と作家が明確に意図を語っているように、ひとつの大きなストーリーに回収されてしまわない定点観測。

同じものを、異なる時間に何度も撮影する以上、そこには何らかのストーリーが生まれるが、画面中にそのストーリーが無数に畳み込まれている。

言いかえれば、画面内の無数のストーリーを等価にとらえる定点観測。

前後の写真の差異(時間変化)をトリガーとして、地と図の転倒が起こること。
それが、画面のそこここで起こっているから、
いったん写真集として完結しているものの、ここにさらに新しい写真が加わることで、今ある写真の読み方がかわる可能性にひらかれていること。

久しぶりにドキドキした。