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光景のめくれ

天候のせいでテスト撮影が延びている。晴写雨読だ。

 山の姿によって方位を知ることがなくても、そう、ビル群に視界を遮られた「巨大な密林」とでも言うべき東京にあっても、道に迷うことが少ないのは、目印の建造物から目的の場所まで移動してゆくその途中の光景をからだが憶えているからである。景観というのは、移動という運動のなかでのそういう光景のめくれというかたちで(あるいは、流れるように脇で眼に入っているらしい光景の断続というかたちで)身に刻まれるものであって、けっして正面に立ってこの景観はすばらしいというように感得されるものではないのである。
『京都の平熱 哲学者の都市案内』
 鷲田清一著 2007 講談社 より抜粋)

最近、大通りを歩くとき、しっかりと対面にある景観を確かめるようにしている。
ふだんは進行方向を向いて脇に見るともなく見ている光景を、あらためて正面から直視すると、見知らぬ街にいるかと思うくらい、まったく印象が異なる。脇に見ることと、正面からじっくり見ることはまったく違う体験なんだと実感していたところだ。

正面に立ってこの絵はすばらしいというように感得する、美術の要請する「見る」作法はかなり特殊だと思うから、その正面に立ってじっと見るという作法を、日常の何に適用したら、いちばん違和感があっておもしろいやろう…と、ずっと長い間考えている。