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隔たり

見続ける涯に火が・・・ 批評集成1965-1977

分厚い本だから、しばらく開いてみる勇気がなかったのだけれど、スキャンの待ち時間のあいだに読みはじめたら、ぐんぐんひきこまれてしまった。制作者の生のことばだけに、問題意識を共有しやすかった。

いくつも、とりあげるべき箇所はあるのだけれど、気になったところからひとつ。

睡眠薬を常用し続けることによる知覚異常の話のところで、距離感を喪失する幻覚を見るという記述。抜き出してみよう。

幻覚といってもありもしない幻を見るのではなく、つまりそれはこの距離感の崩壊であり、事物と私との間に保たれているはずのバランスを喪失することであった。たとえば、テーブルの上にコップが置いてあるとする。だが自分にはコップをコップとして認識することができず、私とコップとの関係を正常に知覚することができないのだ。

ふるくからの友人が、幼いころ、ものがだんだん、小さくなっていくように見えることがあったと言っていたことを思い出す。家族の問題に端を発したその症状は、家族関係の改善とともに、なくなっていったのだそう。

ものの大きさの見え、は、隔たりや距離感と密接にかかわり、それが崩壊するというのは、単なる知覚のエラーという以上の意味を持ち、心理的な危機とも深くかかわっているのだと思う。

中平卓馬さんの近作にひっかかりを覚えていて、それが何なんだろう、と、ずっと考えていたのだけれど、最近ようやく、それは、ものとの距離感、隔たりにあるのではないか、と思いはじめた。身体距離を侵されたときの居心地の悪さに似たなにか。

先日、自分の書いた文章を読み直してみることがあって、あらためて自分が「隔たり」に強い関心を持っていることに気がつく。被写体との距離感。