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自分の文章にならなかった

1ヶ月弱くらいのあいだ、集中的に内田樹の文章(著書とBlog)を読んでいた。彼の明快な文章によって、いままで自分が感じていた齟齬や違和感に、くっきりとした輪郭が与えられるような感じだった。しばらくはその快楽に浸っていたというのもあるけれど、そういう時期は、彼のことばに自分のことばを絡めようとしても、どうしても自分の文章にならなかった。

どうも、咀嚼には時間がかかるようだ。身体論から社会分析まで、あまりに広範にわたる内容の、それも濃い内容の文章を大量にinputしたのだから、無理もない。

いまから少しずつ咀嚼して、自分の経験にからめて書けたらいいなと思う。

武道論から派生する人間の身体運用についての記述がとりわけおもしろくて、着物では、背面の見えない位置に一家のアイデンティティたる家紋を背負っていることになり、その身体運用においては、「見る」意識が、自分の後方にも回り込んでいる、という。

ひとの「見る」が、そのような複雑な経験として成立しているのだとすれば、写真で表現、あるいは再現できる視覚経験というのは、とても限定的なものかもしれない。どうしても、写真の「可能性」より「不可能性」に魅かれるな、と思いながら、冬空の下、撮影を続ける。