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お金の奴隷にならない、ということ。
使う、ということば。

あいだにお金を介在させると、いろんなことが狂うな、と、最近思う。

本来は、お願いするひとが相手のところにうかがうのが筋だ。
世間の通例と違っても、それが筋だとわたしは思っている。
だから、わたしはお願いする相手のところにわが身を運ぶ。

そういうこと。

お金を払う側だから、来てもらって当然、という気持ちが、
金銭への隷属の第一歩。
自分の払う金にどれだけの価値を見ているのか。

それはむしろ、お金をもらう側ではなく、払う側である場合にこそ、
気をつけなければならないこと。

大事なことは、お願いしたりお願いされたりする関係を、
いかに良好に築くかということだと思う。

さいごのさいご、ほんとうの意味でひとを動かすのは、お金じゃない。
相手への敬意だとか、感謝だとか、志の高さだとか、礼儀の正しさだとか、
このひとと一緒に仕事をしたいという気持ち、そういうものだと思う。

それは、資金力のないなかで、
なんとかものをつくってもらってきたからこそ、学べたこと。

ひとにお願いしてものをつくってもらうんだよ。
ひとも業者も「使う」もんじゃない。
あるひとが「業者を使う」という表現をつかったときに、感じた違和感。
業者さんとわたしの関係は「使う-使われる」の関係じゃない。

「うちが使っている業者、紹介します。」とそのひとは言う。
「うちがお願いしている業者さんも紹介しますよ。」とわたしは返す。

つい「人づかいが荒い」なんて言ってしまうけど、
ひとに対して「使う」ということばを絶対に使うまいと思う。