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呪詛と祝福

偶然看板を見かけたので、用事を済ませたあとで、内田樹さんと釈徹宗さんの講演会「呪詛と祝福」の最後のほうだけ、ちょこっとのぞいてみた。

釈さんのほうが話していたと思うけれど、「単純に、人間のこの身体を80年保ち続けるのには、人間はエネルギーを持ちすぎている。だから過剰なエネルギーを、分配、贈与というかたちで放出しないと、そのエネルギーが呪詛へと向かってしまう。」というようなことを言っていた。

なるほど、と思う。

制作に向かう時間と労力を確保するため意図的に「閉じていた」この数年を振り返って、反省するところが多い。そして、少し方向を変えてみようと考えはじめた矢先に、こういう言葉と出会う。

自分のエネルギーを自分のためだけに囲うのではなく、他者に分配・贈与することによって、少なくとも自分が他人に呪詛をかける(他人の不幸を喜ぶ)ような事態は避けられるのかもしれない。

昔、ともだちが賞をもらったときに、周囲があまりそのことに好意的ではなかったこと、わたしはその事態にショックを受けた。

どうして素直に祝福できないのか。

そのときから、身近なひとの幸福を祝福できなくなるくらい余裕を失ったらあかんやろ、という危機感を強くもって、祝福するべきタイミングには、大いに祝福するよう努めてきたのだけれど、この講演会で、「呪詛を解くのには祝福しかない」と聞き、わたしは、知らず知らずのうちに呪詛から逃れて来られたんやな、と思った。

そして、今年になってようやく、我が家には祝福の季節が訪れ、ふたつの結婚と、ひとつの生命の誕生が約束された。

弟の結婚式で賛美歌を歌いながら、3年前のいまごろ、家族がいちばん危機的な状況であったことを思い出し、その頃のわたしたちには決して想像もできなかったこの幸せな事態に、胸が詰まった。

この日の祝福と感謝の気もちを、いつまでも忘れぬように。