おじょうちゃん、

見知らぬわたしのことを、
娘さんでも、お嬢さんでもなく、おじょうちゃんと呼ぶ哲学者から、
わたし宛に二冊の献本をいただいていると、実家から連絡があった。

作業に入って、ひたすら画面と向き合う日々が延々と続くと、
どうしても、自分ひとりで闘っているような気持ちになってしまう。
画面に現れる一枚一枚の画像に、浮いたり沈んだり。

そういった矢先のことだったから、
ものをいただいたということより、気にかけてくださったという事実が、
胸の深いところを衝く。

かつて、その哲学者が父に、
「おじょうちゃんはまだ京都でがんばっているのですか?」
と問うたことを思い出す。

まだ京都でがんばっている

何気ないそのひとことに、
含まれていることがらがあまりに多すぎて、胸が詰まった。

そして、くじけそうになるたびに、流されそうになるたびに、
そのひとことを思い出して、とりあえず前を向こう、と思い直す。

この3年はそういう3年だった。